ことばのまわりをぐるぐると♬

旧タイトル:仏語と独語の学習メモ♬

言葉に物理的な苦しみを和らげる力はあるのだろうか

今日は全く語学ブログではありません。完全な独り言、別にブログを作るべきかもしれませんが、そのパワーが今はないのでとりあえず、ここに置かせてもらいます。かなりネガティブです。畳みます。

今、一番ほしいのは病人の苦しみを緩和させる力です。

どうしてこんなに苦しまなくてはいけないのか、わからないほど身内が病で物理的に苦しんでいます。

肺の機能が著しく低下し酸素マスクをつけているのですが、今日は、何を言っているか聞き取れないことが多かったので、指で文字盤を指してもらいました。試行錯誤の末、やっと判明した伝えたい言葉が、

「自殺したい」

でした。

 

その30分ほど前に「爪を切って」と言われて、爪を切ったのに。私は自分の爪を切るのも下手なので、当然、人の爪を切るのは下手で、前にも失敗したので削っていたら、「パチパチ切って」というので、仕方なく歪な形にしかならなくても頑張って爪切りで切ったのに。

 

なのに、

「明日は仕事で遅くなるけれど夜、また来るからね」

と言って帰る間際に突然

「別れたい」

「自分の体と」

そして

「自殺したい」

と告げられたのです。

 

 

治療をお願いしている私は残酷なことをしているのか。

どうすればいいのか、帰宅して2時間、ずっと考えています。

 

2時間経った今、やっと思いついたことは、「本当に自殺したかったら、する力はあるので、これは私に苦しみを伝える手段なのかも」ということでした。

 

辛い気持ちを伝えることで癒されることはあるのでしょうか。

 

痛みは想像できても共感はできません。物理的な苦しみを伝えたところで、少しは緩和されるのでしょうか。

 

もしそうならば、そして、そのためにこの言葉が発せられるのであれば、私の感じた痛みも報われます。

 

それとも言っても仕方ないけれど、苦しいからつい言ってしまうことなんでしょうか。

一番、身近な私にぶつけたくなるということなのでしょうか。

その場合、本人もその言葉を放つことで私が傷つくことを自覚していると思われ、多分、より深く傷ついてしまうのではないかと思います。

 

「私は辛いのよ、苦しいのよ」

と叫んだところで私は決して楽にならないと思います。

 

それとも、今、私がブログに書いているように、表現すること、に意味があるのでしょうか。書く力が、今、この身内にはないので。

どうなんでしょうか。

わかりません。

 

なぜこんな難題に直面しなくてはならないのか、本当にわかりません。

でも、一番苦しんでいるのは病人である本人なのはわかります。

だから、私はどうすべきか全くわからなくても考え続けるしかないのでしょう。少しでも傷つけない言葉を手繰り出し、愛情を伝え、とにかく支え続ける。それだけです。